男の自分磨き.com

今、この瞬間に命をかける

トップページ > 柳生のぼやき > 今、この瞬間に命をかける

今の自分とは、過去の自分の表れであり、
未来の自分とは、今の自分の表れである。
人の全ては「今、この瞬間」に集約されている。

過ぎてしまった過去を追い続けたり、未だ見ぬ未来を待ち続けたり、
過去の後悔や未来の希望ばかりに目を向け、
今の自分から目を反らすということは、自分を見失うことを意味する。
自分を見失えば、亡霊のように他人や世の中の奴隷として生きることになる。
しっかりと地に足をつけ、自分の意志で自分の人生を歩むためには、
自分の人生における全ての責任を己の中に見出さなければならない。
人は責任を持つことではじめて自由になれる。

過去は追ってはいけない。未来は待ってはいけない。
ただ今、この瞬間だけを強く、勇ましく、そして優しく、誠に生きねばならない。
間違いに気づいたのならば、その過去を否定するのではなく、肯定し、改めれば良い。
過去は変えられる。過去を決めるのは今の自分である。
人は覚悟と勇気さえあれば、今、この瞬間に変わることができる。
その瞬間、苦しかった過去はそのためのきっかけだったんだと気づき、
それまでの苦しみが一瞬で消え、過去の呪縛から解き放たれる。

しかし、「今さえ良ければ良い」と勘違いしてはいけない。
過去と未来を無視し、今しか見ないというのも自分を見失うのと同義である。
今の自分を見つめることで過去を反省し、今を改める。
未来を見据えた上で今の自分を見つめ、成すべきことを成す。
つまり、現在をもとに過去を反省し、未来を見据えた上で現在を生きる。
それが過去、現在、未来の全てを一つにつないだ「今」を生きるということである。

人は成長していく中で自分の人生に自ら責任を取れるようになっていく。
人間は誰しも、最終的に自分の人生に責任を取れるのは自分以外あり得ない。
最後の最後にあなたの人生に責任を取れるのは他でもないあなただけだ。
自分を見失い、自分の人生への責任を放棄した人間は、
何か苦難にぶつかるとその責任を他人や世の中のせいにする。

あいつ(他人や世の中)が悪い、あいつのせい、
あいつさえいなければ―。(犯罪の因)
こんな世の中だから―。(あきらめの因)
世界が歪んでいるのは、そんな我々一人一人の罪のせいなのだ。


チェインギャング / THE BLUE HEARTS 歌詞

ストレンジ カメレオン / the pillows 歌詞

苦難というのは誰かのせいでもなく、世の中のせいでもなく、
己を打ち負かそうとする己の弱さに負けることで自分自身に降りかかる。
全ての事象は過去・現在・未来の三世を貫く善因善果、悪因悪果の因果の法則によるものである。
己の弱さに負けた弱い者が、さらに弱い者を叩くことでその悪因が肥大化していき、我々を飲み込む。
それらは全て、我々一人一人の心の弱さが肥大化したものである。
その負のスパイラルを止めるためには他人や世の中を責めるのではなく、己の心を改めるしかない。

自分の人生の責任を放棄し、他人や世の中に責任転換する者は自由を失い、
楽な道へ逃げようとすればするほど悪に堕ち、どこへ逃げても苦しみ続け、その苦しみは増す一方である。
そうやって逃げ場を失い、自由もなければ出口も見えない無限の生き地獄に堕ちるわけだ。

自分の人生にしっかりと責任を持ち、己の心と真に向き合い、誠の志と信念を持つ人間は、
己に降りかかる苦難を己の試練として受け止め、堂々と立ち向かい、
その試練を乗り越えることで成長し、強くたくましく、自由に生きられるようになっていく。
と思ったらまたすぐに違う壁にぶち当たるわけだが、その繰り返しによって一切が開けていくわけだ。
人生は己との闘いの連続である。その壁を乗り越えられなければ、同じ壁に一生悩み苦しみ続ける。

今、この瞬間を自分に嘘偽りなく、ありのままに、誠の心を持って真剣に生きる。
暗闇の中を手探りで、突破口となる一筋の光を求めて必死に生きる。
その一瞬一瞬の点をしっかりと踏みしめていけば、次第にその光は強く鮮明になっていき、
ふと振り返った時、その全ての点と点がつながって光に向かう一本の線になっていることに気がつく。
今、この瞬間に過去、現在、未来の三世を貫く一本の光の筋がはっきりと表れ、一切の闇を明かす。
そこに嘘偽りも迷いもない、ありのままの真実の人生が開かれるのではなかろうか。


雷雨決行 / ザ・クロマニヨンズ 歌詞

I know you / the pillows 歌詞

人は皆幸せを求めて生きている。では幸せとはなんだろうか?
愛、金、地位、名誉…これらは外部的な要素に依存した相対的幸福であり、
追い続けても真に心が満たされることはなく、死を最後として必ずいつかは消えてなくなる。
追えば追うほど外部に依存し、奪われたり失ったりする不安と恐怖に追われる。

誠に生きるとは、そういった外部的な要素に依存した生き方ではなく、
生きていること自体が幸せであるという内部的な絶対的幸福を追求する生き方である。
そういった安穏な幸福境涯を自分の中に築いていけば、どんな環境に身を置こうとも、
振り回されることなく幸せに生きていける上、環境を変え、改善することさえできる。
ゆえに自分を取り巻く環境が良くなり、外部的な幸せも追わずとも自然な形でついてくる。

遊ぶなら真剣に遊べ、学ぶなら真剣に学べ、
ふざけるなら真剣にふざけろ、サボるなら真剣にサボれ、中途半端に生きるな。
今しかないこの時を、誠に生きることに命をかけろ。素直に真剣に生きろ。
人は今、この瞬間にしか生きることができない。
だったら今、この瞬間に命をかけられないのであれば、
それは生きていると言えるのだろうか?

自分は今、嘘偽りなく誠に正しいと思うことをやっているか―?
誰かに決められた道ではなく、自分の意志で決めた道を自分の脚で歩いているか―?
誰かが引いた線をなぞるのではなく、勇気を持って自分の点をしっかりと踏みしめているか―?

もし大人になってもこの問いに「YES」と答えられないのであれば、
きっとケンシロウ(北斗の拳)はこう言うだろう。

「お前はもう死んでいる…」と。

人は身体が滅びたら死ぬのではない。
命とは志のことではなかろうか。身体が死んでも志は生き続ける。
身体が生きていても、志が死んでしまえば何のために生きているのだろうか?
はたしてそれは生きていると言えるのだろうか?死んだように生きるな。
今、この瞬間を誠に生きることに命をかける志こそが、生死の形を超えた不死の生たる命である。
そんな生き方をしている人間は必ず天に愛され、守られるであろう。


未来は僕等の手の中 / THE BLUE HEARTS 歌詞

その未来は今 / the pillows 歌詞