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表と裏、真実への誠の道とは

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誰かの都合によって時代と共に変わりゆく世の中に振り回されず、
一切の迷いを断ち切って何者にも支配されない自由自在な人生を己の力で切り開いて行く。
それはまるで転がり続けるコインのような生き方である。

コインには表と裏がある。
誰でもコインを立てて遊んだ経験はあるだろう。
コインというのは縁があるから立つこともでき、転がることもできる。
縁がなければ立つことも転がることもできず、
ペラペラの紙切れとなり、折れたりくしゃくしゃになってコインとして成立しない。

そしてコインの縁は薄い。ゆえに立たせるのは難しい。
立っているだけでは、振動や外からのちょっとした力を受けると倒れてしまう。
立った上で転がることで、そういった外からの力にもちょっとだけ強くなる。
しかし、倒れずに真っ直ぐ転がり続けることもまた極めて困難である。

誠の道とは、倒れそうなコインのような己の弱さと、迫り来る外からの力に負けないため、
誠を貫くためにただ一心に、転がり続けるコインのように生きることを言うのではなかろうか。


Too Late To Die / THE HIGH-LOWS 歌詞

月の爆撃機 / THE BLUE HEARTS 歌詞

コインというのは表に倒れれば裏が見えず、裏に倒れれば表が見えない。
表に倒れたコインは表のことしかわからない。
裏に倒れたコインは裏のことしかわからない。
しかし、どちらにも縁は見えるわけだ。

縁の存在を知ることで、自分たちには見えていない、
コインの反対側の世界があることを知る。
しかし、倒れている限りその反対側の世界を見ることはできない。
我々の多くは反対側の世界を想像で語り、反対側の世界を知らないまま、
コインの全貌の真実を知らないまま、
決めつけや思い込みでコインの全てを知ったかのように語る。

我々は無知によっても道に迷うし、知ったかぶりによっても道に迷う。
真実を知らずに勘違いや間違った教えに妄信や慢心を引き起こし、
それらに振り回されることで真実から遠ざかるのである。
そして真実を知らぬゆえに迷いの中を彷徨い苦しみ続ける。

しかし、中には反対側の世界を知りたい、真実を知りたいと強く願い、
自ら立ち上がり、縁に立ち、反対側の世界を見ようとする者もいる。
そしてその者が「反対側の世界はこうだったよ!」と、
真実の一部を見てきた喜びと興奮で元いた世界の者達に語る。
しかし、反対側の世界を知らない倒れている者たちは、

「そんな馬鹿なことあるか!反対側の世界はこうなんだぞ!」

と、自ら見たことも確かめたこともないのに、
自らの想像や誰かから聞いた情報によってつくられた架空の世界を妄信している。
そして自ら縁に立って反対側の世界を見た者を「あいつはおかしい」と揃って攻撃する。
それゆえに、真実を知ろうと縁に立ち続けるのは極めて困難なことである。

反対側の世界を見て、真実を知っているのに、誰にも信じてもらえない。
反対側の世界を語ると、元いた世界の人たちに除け者にされ、攻撃される。
辛い、苦しい、だったらもう反対側の世界を語るのはやめよう、知ろうとするのはやめよう。
元いた世界にいたほうが、今まで通り平穏に暮らせる。
そうやって真実を知ろうとする、自ら縁に立つ勇者たちは倒れていく。

絶対的な真実の一部を知ってしまった者は、
心にその確かな真実を隠し持ったまま、偽りの世界を生きるのに耐えられるだろうか?
仮面をつけて生きるのは、息苦しくてしょうがないはずだ。
そこで真実を握りつぶして偽りに染まるか、
絶対に負けまいと不屈の闘志で真実へと立ち向かい続けるか、
そこが人生最大の分かれ道ではなかろうか。

人は皆、厳しい現実に押しつぶされ、理想をあきらめてしまいがちだ。
しかし、今見えている世界だけが全てではない。
己を見つめ、学び改め、誠の心を磨き、貫き、真実を追求し続けることで、
ずっと抱えていた苦難が解決したり、無理だとあきらめていたことが可能となったり、
今よりもっと広い世界、新しい世界が見えてくる。
その時、あなたはまだそこにいたいと思うだろうか―?

真実というのは、自分で確かめてみなければ掴めないものだ。
誰かが言っていること、世間の常識、客観的に言えることは全て事実であっても真実ではない。
真実というのは主観的なものであり、各々の心の中にしか存在しない。
事実の裏に隠された真実は、自分自身で確かめてみないとわからない。
誰かの描いた物語に踊らされるのではなく、自分の手で、自分自身の物語を描こう。
自分の志とその脚で、勇気を出して一歩を踏み出し、真実を確かめに行こう。
偽りのない、確かな真実を掴んで行くのだ。


TRAIN-TRAIN / THE BLUE HEARTS 歌詞

確かめに行こう / the pillows 歌詞

世の中というのは、一般的に見れば表の世界も裏の世界も、常に変わりゆくものだ。
ゆえに一度は縁に立って反対側の世界を見たとしても、どちらか片方の世界に倒れてしまえば、
一度は世界の全てを知った気になるが、自分が知っていた反対側の世界は、
自分が反対側に倒れる前の世界にすぎず、それは全ての真実ではない。
今の反対側の世界はどうなっているのか、それを知るためにはまた縁に立つしかない。

つまり、常に表と裏の両方を見据え、コインの真実を見続けるためには、
コインの縁に立ち続け、絶対に倒れないために真っ直ぐ転がり続ける以外に方法はない。
そして表の世界と裏の世界にいる、真実を知ろうと立ち上がる者を助けるため、
時には少し傾いて彼らに力を貸してあげるのだ。
真実の誠の道を走り続ける者が増えれば増えるほど、この世は真の誠の世界へと近づいていく。

しかし、その道は極めて困難で辛く、苦しい道のりである。
コインの縁という誠の道を歩む者には、それを妨害しようと度重なる苦難が訪れる。
その度にどちらか一方の世界に倒れそうになるだろう。
しかし、そこで倒れてしまえば真実を知ることはできなくなってしまう。
一度倒れてしまったら、再び起き上がることは極めて難しい。

そしてその誠の道を歩み続け、真実を追求し続けた時、
コインの表と裏はどちらも紙一重であり、明確な違いもなければ常に変わりゆくものだと気づく。
そのコインの表と裏というのは、その時々で誰かが描いた絵によるもので、
異なる絵が描かれているから、表と裏という異なる認識が生まれるのであって、
本来コインそのものには表も裏も存在しない、一つのまっさらなものだと気づく。

表も裏も関係ない、表が全てでも、裏が全てでもない。
表が正しいわけでも、裏が正しいわけでもない。
表が間違っているわけでも、裏が間違っているわけでもない。
表裏一体のコインという存在そのものが、そのままありのままに真実なのだとわかる。
その時はじめて、表にも裏にも惑わされない、真実のコインの正体を掴むことができる。

それを見たり聞いたり読んだりではなく、自らの目と心で確かめ行動し、
その真実の誠の道を貫き続けることで、その真実を己の体験として確信した時、
はじめてコインの全てを、揺るぎないこの世界の真実の答えを体得する。
変わりゆくものと変わらないもの、その両面の極みの境地に至る。
これこそが唯一無二の「真実への誠の道」ではなかろうか。
それは辛く、険しい道のりだ、しかし、その道しか真実へたどり着く道はないのだ。

その道は素直で正直で、強く勇ましい誠の心を持った者にしか歩めない。
邪まな者や臆病者には決して立ち上がることも、歩むことも、貫くこともできない究極の道である。
ゆえにその道を極めし者は恐れるものなど何もなく、
何者にも絶対に負けない、絶対的な誠の力を持つ。まさに鬼に金棒なのである。
彼らは皆、誠に生きることに命をかけてきたからだ。半端者に負けるはずがない。

そして真実を知らずに苦しむ全ての人々を真実へ導くこともできる。
人々を真実へと導くことができる者は、
誠の道を歩み続け、その道のりと絶対的な真実をその身で知り尽くし、
そして自らもそこで止まることなく歩み続けている者だけだ。
その背中に魅せられた者は追わずにはいられなくなる。

その真実を知るため、コインの縁に立ち上がり、誠の道を突き進むのだ。
倒れるのは楽なことだ。しかし、倒れてしまえば真実への歩みは止まる。
しかし、一度止まってしまったからといって終わりではない。
倒れても倒されても、立ち上がる意志さえあれば何度だって立ち上がることはできる。
あなたが立ち上がったその時、きっとその先で待っている人達がいるはずだ。


情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS 歌詞

No Surrender / the pillows 歌詞