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未完成という名の完成とは

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正義と悪は紙一重、天才と馬鹿は紙一重、純愛と狂気は紙一重、
この世には紙一重という、どちらにも突出しているがどちらにも偏らない究極の世界がある。
歴史的な発見や発明をしてきた偉人たちは皆、その紙一重の世界を孤独に生きてきた。
それは常に未完成でありながらも完成を追い続ける唯一無二の究極完成形である。
未完成こそ真の完成であり、不安定こそ真の安定なのだ。

ここで一つわかりやすい例として世間話をしよう。
ミスチルが2015年にリリースした「未完」という曲。
この曲が生まれるまで、その裏にはどんな物語があったのだろうか―。

光と影、影は光があってはじめて生まれる。
わたしたち人間は影を避け、常に光を求め、追い続ける。
しかし、光も影も、太陽があるから生まれるのだ。

だが、我々人間に太陽は眩しすぎて直視することはできない。
だから人は次第に太陽を見なくなり、
眩しい太陽を邪魔者扱いし、避けようとする。
多くの人が光を追い求め、その光の影として生きている。
太陽を避け、そのありがたみすらも忘れてしまっている。
我々は多くの光に群がり、あっちだこっちだと新たな光を見つけては、
「これこそ最高の光だ!」と、優劣を主張し合い、愚かな争いを繰り広げている。

しかし、光は知っている。
自分が輝けるのは太陽があるからだと。
我々の多くは光ばかりを追っているがゆえ、その影となって生きている。
太陽から目を背けているがゆえに、自ら光り輝くことができないでいるわけだ。
ゆえに多くの人々は誰かの光の影として生きている。

そんな影たちが光を縛りつけることで、光は次第に身動きが取れなくなってしまい、
太陽ではなく影を見るようになり、影ばかりを気にするようになる。
そうやって光もいつしか太陽を忘れ、影に飲み込まれてしまう。
そんな中でも太陽を見失わず、太陽の如く孤独に光り輝き続けた者だけが、誰かにとっての太陽とも成り得る。

我々は今こそ太陽の存在に気づき、そのありがたみを思い出すべきではなかろうか。
一人一人が太陽を見上げ、太陽の光に照らされて自分の光を放ち、輝こうではないか。
誰かの影に生きる必要はない。自分の影に縛られることはない。
一人一人が太陽の光によって輝く。太陽は誰のものでもない、皆のものだ。
そしてその影は他の誰のものでもない、気にすることもない、自分だけの影なのだ。

ではミスチルという光にとって、太陽とは何だったのか、
それはピロウズというバンドだったのではなかろうか。
ミスチルの桜井氏とピロウズのさわおは同期で古くから交友があり、
お互いの曲をカバーし合ったり、それぞれに向けた曲もある。
桜井氏はさわおを尊敬し、個人的に彼らのライブにも行くそうだ。
そんな彼らのカバーと、互いに向けてつくられた曲を紹介する。


ストレンジ カメレオン / Mr.Children(カバー) 歌詞

つよがり / the pillows(カバー) 歌詞
  • cherry / the pillows 歌詞
  • Prism / Mr.Children 歌詞

わたしは彼らが互いの葛藤の中で尊敬し合う心と、その魂の叫びに触れ感動した。
誠の心というのは全てつながっている。
ゆえにその魂が重なると相手の全てを自分のものであるかのようにしてしまう。
体は違っても魂が一体となるため、自分と相手の境目がなくなって一つになるわけだ。
よくカバーを聴くと本家超えなどと言われるが、それは本家を超えているのではなく、
自らが本家そのものになっているのだ。だから比べようがないのだ。
心がつながるがゆえに、体は別々でも本家同様であり、その魂そのものが本家なのだ。

ミスチルはピロウズという太陽を間近で見ながら、光と影の葛藤の中で、
仮面をつけた自分の姿と、己の心のギャップに苦しみ、闘い続けた結果、
ついに己の弱さに打ち勝ち、仮面を捨て去り、
この「未完」という曲をリリースしたのではなかろうか。
この曲を歌う桜井さんの姿からは、まるで何かにとりつかれたように、
今までの心の闇を吹き飛ばすような、そんな力強い魂の叫びを感じる。

そしてミスチルの太陽となったそのピロウズにも、彼らにとっての太陽が存在し、
それらは全て「ロックンロール」という一つの大きな太陽(魂)からはじまっている。
現に彼らは「ロックンロールと太陽」という曲もリリースしている。

クロマニヨンズのヒロトはロックンロールについてこう語っている。

「初めてギターを手にした瞬間が、ロックンローラーとしては頂点なんだよ。
そこから下るかキープするか、2つの道を選ぶんだよ。」

『例えば、ギタリストがギターを持って、
「あいつの鳴らしたあの音を自分でも鳴らしたい」って思っちゃ、もうダメなんだよね。
自分の大好きなあいつがあの音を鳴らした時の「気持ち」をコピーするんだよ!
そうやっていくと一生現役なんだ。
音をコピーしたり再現したりだとすぐ形骸化するだけでさ。
ロックを始めた時の衝動、そこに衝動がなければ現役じゃないと思うんだ。
もし、その衝動がなくなった時は終わりだな。そうなったら僕も引退するよ。』

だから本物のロックンローラーというのは、
生涯をかけて一貫して、その初心にして頂点であるロックの魂を貫き続ける。
形は変わっても、そのロックの魂は永遠に変わらないのだ。
それは形ではなく衝動ゆえに、完成という形を持たず、
不完全かつ未完成でありながらもそのままありのままの状態で常に完成しているのだ。
ゆえに本物のロックバンドというのは、デビュー曲に始まりデビュー曲に終わるのである。

ヒロトとマーシーはブルーハーツ、ハイロウズ、クロマニヨンズと、
ブルーハーツ以来、三つのバンドを共にしているが、
表面的な違いはあれど、歌詞の意味やパフォーマンスなど、
その根源となる衝動(魂)はデビュー当時からまったく変わっていない。
衰えるどころか、より鋭く、より鮮麗されている。
本物のロックンローラーにとって、常に最新作が最高傑作なのだ。
ロックンロールは変化はするが進化はしない。初心が頂点なのだ。

ロックに生きるとは、未完成である勇気を持つこと、不安定である勇気を持つこと。
自分の良いところも悪いところもありのまま素直に受け入れ、嘘偽りなく正直に生きること。
初心にはじまり初心に終わる。その初心にして頂点である心を一度掴んだら離さないこと。
いつ死んでも悔いのないよう、今この瞬間を真剣に生きること。
そんな紙一重の究極の世界を生き続けるのがロックに生き、ロックに死ぬということだろう。
その魂は生死の形を超え、人々の心の中に永遠に生き続ける。
今、この瞬間に常に未完成でありながら完成しているのである。


十四才 / THE HIGH-LOWS 歌詞

ムーンダスト / the pillows 歌詞